マイケル・ジャクソン

80年代の洋楽を語るにはまずこのアーティストから。

画像

マイケル・ジャクソン 1958年生 アメリカ・インディアナ州出身


兄弟で結成されたジャクソン5(後にジャクソンズと改名)のボーカルとして幼少の頃から注目を集める。名プロデューサーであるクインシー・ジョーンズと出会い1979年のソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」が大ヒット。1982年にリリースしたアルバム「スリラー」は空前の大ヒットとなりスターとしての地位を固める。80年代最もアルバムセールスが多かったアーティストである。画像

1984年にはマイケル人気にあやかり休止状態だったジャクソンズとしてアルバム「ビクトリー」をリリース。このアルバムの第一弾シングル「ステイト・オブ・ショック」でマイケルとローリング・ストーンズのミック・ジャガーがデュエットしたことから話題となりある程度のセールスを記録するが評価は思わしくなかった。





1985年にはアフリカ飢饉救済ユニット「USA FOR AFRICA」の中心メンバーとして「WE ARE THE WORLD」をライオネル・リッチーらと共作して慈善事業も手掛ける。しかし90年代に入ると奇行が目立つようになり以降ゴシップ・スターに成り下がってしまう。

WE ARE THE WORLD

マイケル絶頂期の頃です



主なアルバム

オフ・ザ・ウォール画像1979 年リリース。「今夜はドントストップ」「Rock With You」「あの娘が消えた」など多くのヒットを連発。ソウル、ダンスナンバーが融合した聴き易いサウンドに仕上がっており、人種の壁を越えて多くに支持を得ながら数年をかけ売上が世界で2000万枚を越える。マイケル自身が何曲かの作詞、作曲を手掛けソング・ライターとしての評価も高める。また当時スクーターブームだった日本でスズキのスクーターCMにも出演している。バックに流れていたのは「今夜はドントストップ」であった。




スリラー
画像1982年リリース。累計販売枚数が1億枚を超え歴史上一番売れたアルバムとなる。第一弾シングル「ガール・イズ・マイン」はポール・マッカートニーとのデュエットとして大きな話題になった。以降「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」「スリラー」などビッグヒットを連発。アルバム収録9曲のうちなんと7曲がシングルカットされ全てTOP10入りするというまさにモンスターアルバムであった。






主なプロモーション・ビデオ



「スリラー」
画像1983年12月100万ドル(この頃は1ドル240円近辺だったので日本円に換算すると2億4千万という巨費)の制作費を投入してつくられたプローモーション・ビデオ。当時はPVの制作費が数万ドル程度とされており、ストーリー展開、放映時間など常識破りであった。
アルバム「スリラー」発売から既に1年を経過していたが、このビデオがマイケル人気に拍車をかけアルバムセールスが驚異的に伸びた。これが他のアーティストにも影響を与え凝ったつくりのPVが多くなっていく。


「SAY,SAY,SAY」


アルバム「スリラー」からの第一弾シングル「ガール・イズ・マイン」でデュエット参加してくれたポール・マッカートニーへの返礼として、1983年11月にリリースされた彼のアルバム「パイプス・オブ・ピース」にデュエット参加。これも全米第一位を獲得。今は亡きポールの愛妻であったリンダも出演しています。



この頃のマイケル人気は異常ともいえる状態で、この人気に便乗して「今夜はビート・イット」をパロディー化したアル・ヤンコビックが「今夜はイート・イット」という画像パロディーソングをリリース。PVの面白さも手伝い全米でTOP10入りするという珍現象も起きた。

下の2つのPV見比べるとけっこうおもしろい

マイケル・ジャクソン「今夜はビート・イット」
画像



アル・ヤンコビック「今夜はイート・イット」
画像




画像80年代カリスマ的な人気を誇ったマイケルだが、90年代から幼児虐待疑惑、金銭トラブルなど様々なスキャンダルに見舞われる。一説には幼い頃から父親に虐待を受けたトラウマが原因ではないという説もあるが真相は定かではない。いずれにしても80年代を代表するアーティストであったマイケルの現状には寂しいものを感じてしまう。

"マイケル・ジャクソン" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント