シカゴ

1967年に結成。ロックにブラスバンドを取り入れ「ブラス・ロック」というジャンルを確立して「長い夜 (25 Or 6 To 4)」が大ヒットとなり70年代を代表するグループになる。1978年メンバーの不慮による事故死やプロデューサーを頻繁に入れ替えるといった音楽性の迷いなどから低迷期に陥る。


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お気に入り曲を入れたシカゴメドレーです






アルバム「シカゴ16」でメジャー復帰

画像1982年にデイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えると共に彼の口利きで、当時西海岸を拠点に活躍していたビル・チャンプリンをメンバーに迎え、1982年アルバム「シカゴ16」をリリース。ここから80年代の名バラード「素直になれなくて(HARD TO SAY I’M SORRY)」が全米No.1の大ヒットとなりメジャー・シーンにカムバックを果たす。このアルバムではシカゴのブラスロックという特徴を生かしつつも、ビルやデイヴィッドが曲作りにも参加して西海岸サウンドのエッセンスを盛り込みシカゴの新境地を開く。またこのヒットによりがデイヴィッド・フォスターはプロデューサーとしての名声を不動のものにする。元々デイヴィッドはこの時期ボズ・スギャッグスの新作プロデュースのためスケジュールを空けていたが、ボズの私的理由によりアルバム製作が延期されたことから、このシカゴのプロデュースが実現したようである。

80年代の名バラード「素直になれなくて」

この曲は日本でもいくつかのCM挿入歌として使われていました。






1984年「シカゴ17」をリリース

画像前作同様デイヴィッド・フォスターのプロデュースにより完成度の高いアルバムに仕上がる。「素直になれなくて」のヒットでバラード路線を期待するファンにしっかり答えるように「忘れえぬ君に」「想い出に生きて」「君こそすべて」と3曲のバラードを盛り込み、すべてヒットチャートにランクインさせている。このアルバムはフォスター・サウンド全開といった感じでポップな仕上がりになっており、従来からのブラスロック路線から距離を置き新生シカゴを印象付け万人受けするアルバムであった。前作より加入したビル・チャンプリンのボーカル・パートが多くなり彼の存在感が徐々に大きくなってきた。このアルバムはリリース当時アナリカより1ヶ月早く日本で発売になったことから日本のファンは優越感に浸ることができた。またメジャーデビューする前のリチャード・マークスがバック・ボーカルで参加している。


忘れ得ぬ君に(HARD HABIT TO BREAK)

「素直になれなくて」にひけを取らない曲です。ピーター・セテラとビル・チャンプリンの掛け合いも絶妙





ピーター・セテラの脱退

1985年衝撃のニュースが駆け巡る。看板ボーカリスト、ソングライターとしてシカゴの顔だったピーター・セテラが脱画像退してしまう。後にピーターは脱退理由の一つに「他のメンバーはツアーに出たがったけど、僕はじっくりレコーディングがしたくて意思のすれ違いが生じた」と語っている。理由は当然これだけではないのだろう。たぶんビル・チャンプリンとの軋轢もあったのではないかと勝手に想像している。脱退後にリリースしたピーターのソロアルバム名は「SOLITUDE/SOLITAIRE」(ひとりぼっち~ひとりあそぶ)あまりにも意味深だな~と感じた。アルバムは言うまでもなく大ヒットする。








1986年「シカゴ18」リリース

画像前作から2年ピーター脱退後の初アルバムがリリースされる。注目されていたピーターの後釜は当時24歳と他のメンバーよりも一回り以上若いジェイソン・シェフ。彼の父親はエルビス・プレスリーやボブ・デュランらのセッションに数多く参加したベーシストのジェリー・シェフという人だそうで、いわば音楽一家の出だったようだ。このアルバムで驚いたのはファースト・シングルに1970年にヒットした「長い夜 (25 Or 6 To 4)」をセルフ・カバーして出したことだ。新加入のジェイソンが伸び伸びとリード・ボーカルを取り、あたかもピーターなくてもシカゴは健在だとアピールしているようであった。但し昔を知るシカゴファンの評価は辛らつだったそうである。






「長い夜 (25 Or 6 To 4)」ジェイソンがリードボーカルのセルフ・カバー

この曲は日本で1986年に日産自動車のCM曲にも採用されていました



このアルバムもデイヴィッド・フォスターのプロデュースだが、前作「シカゴ17」でとったポップ路線からシカゴの原点といえるホーン・セクションを多用したブラス・ロック路線も多く取り入れており、昔からのシカゴファンにも受け入れられるサウンドにしている。しかしながらバラードファンにも配慮してフォスターお得意のしっとり感も入っており非常に厚みのあるアルバムであった。ソングライターにはフォスターを始めボビー・コールドウェル、TOTOのスティーブ・ルカサーなど外部からのものが多くなったのも印象的であった。このあたりはピーター脱退の影響があったのかもしれない。

「スティル・ラブ・ミー(WILL YOU STILL LOVE ME)」

やはりシカゴといえばバラードこのアルバムにもしっかり収録されています。ジェイソン・シェフとビル・チャンプリンの掛け合いもいいです。





1988年「シカゴ19」リリース

画像このアルバムは80年代シカゴ浮上のきっかけを作ったデイヴィッド・フォスターを離れ、チェス・サンフォードとロン・ネビソンをプロデューサーに迎え作成された。この理由は定かではないがフォスター・サウンドと別の物を求めたのかもしれない。前作で見られたブラス・ロック要素が消えて、80年代シカゴの代名詞であるバラード路線が強くなっている。これはレコード会社の意向を強く反映したものであろう。そしてもう一つ大きな変化はビル・チャンプリンがメイン・ボーカリストとなっている点である。これらが功を奏したのかバラードを中心にヒット曲を連発し3曲がTOP10入りする。その中で「ルック・アウェイ」は1989年度ビルボードの年間シングルチャート1位を獲得した。


「ルック・アウェイ(LOOK AWAY)」


この曲でシカゴ初のビルボード年間シングルチャート1位を獲得




「ユー・アー・ノット・アローン(YOU'RE NOT ALONE)」


ビル・チャンプリンのリード・ボーカルもいいですね。




画像シカゴはこの19以降ヒットに恵まれず、ヒットチャートを賑わすことはありませんでしたが、90年代は各地でライブ活動をこなしています。2008年4月には日本でのライブを敢行し相変わらず根強い人気があるようです。

メインボーカルがピーター・セテラ、ジェイソン・シェフ、ビル・チャンプリンと変遷してはいきましたが、どのボーカルも違う持ち味があって良かったのではないでしょうか。自分はフォスターフリークなのでシカゴといえばバラードかなという思いが強いです。アルバム「シカゴ17から19」はどれもお奨めです。

シカゴ・・・自分にとっては80年代を駆け抜けたスーパーグループなのでありました

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