エリック・カルメン

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エリック・カルメン(Eric Carmen) 1949年アメリカ・オハイオ州生


幼少の頃からピアノを修得して、音楽理論などクラシックの素養を身につけるが、少年期ザ・フー、ビートルズ、ビーチボーイズなどに触発されロックに目覚める。1970年にラズベリーズというグループを結成し72年に「ゴー・オール・ザ・ウェイ」がヒットするも74年にメンバー間の軋轢などであえなく解散しソロ活動を始める。



「オール・バイ・マイ・セルフ」が大ヒット

ソロ活動に入った1976年「オール・バイ・マイ・セルフ」が全米2位の大ヒットになり人気を決定付ける。その後何曲かのヒットを出すも所属レコード会社とのトラブルから訴訟に発展し1980年以降ミュージック・シーンから姿を消してしまう。

最大のヒット「オール・バイ・マイ・セルフ(All By MySelf)」

この曲はセリーヌ・ディオンやレオナ・ルイスもカヴァーで取り上げていましたし、91年トヨタ、03年ダイハツがCM挿入歌に使用していたので日本でもおなじみの曲です。




メロディー・メーカーとして復活

画像沈黙を破って復活したのは1984年映画「フットルース」のサントラに収録されていたアン・ウィルソン&マイク・レノが歌った「パラダイス~愛のテーマ」に作曲者として名を連ねたエリック・カルメンであった。この曲は全米7位まで上昇し13週にわたり40位内に留まるロングセラーを記録し、80年代を代表するバラードのひとつとなり彼の才能が如何なく発揮された作品。


「パラダイス~愛のテーマ(ALMOST PARADICE)」


日本では「金曜日の妻たちへ」の主題歌にもなっていたみたいです





アルバム「エリック・カルメン」画像
1984年(日本では1985年)には久々のアルバム「エリック・カルメン」をリリース。第一弾シングル「噂の女」ではMTV向けに本格的なPVを作成するもヒットチャートでは35位止まりとあまり話題にはならなかった。収録曲は完成度の高いものが多くセカンドシングルとなった「アイム・スルー・ウィズ・ラヴ」はまさにエリック節が炸裂したバラード・ナンバーであった。しかしこのアルバムは残念ながらヒットチャートを賑わすことはなかった。個人的には素晴らしいアルバムだと思っている。ジャケット写真もかなり良い。現在は廃盤となっているが、アメリカでは70ドル以上のプライスが付いており根強い人気があるようだ。


アルバム「エリック・カルメン」ダイジェスト






アルバム「エリック・カルメン」から
「アイム・スルー・ウィズ・ラヴ(I'm Through With Love)」

いい曲なのにヒット・チャートでは最高87位。話題にもならなかった^^;




1987年映画「ダーティー・ダンシング」のサントラに収められた「ハングリー・アイズ」が全米4位となり歌手としてのエリック・カルメンが復活する。皮肉にもこの曲は自身で作詞、作曲は手掛けていなかったが、翌年ベスト盤に収められた自作曲「メイク・ミー・ルーズ・コントロール」で全米ヒットチャート3位になるなど久々に彼の雄姿が話題となる。

「ハングリー・アイズ(Hungry eyes)」

このPVでは髪型を変えてイメージ・チェンジしています。


「メイク・ミー・ルーズ・コントロール」(Make Me Lose Control)




70年代に多くのヒットを飛ばし、80年代は様々なアーティストに曲を提供すると共にフランク・シナトラから、モトリーク画像ルー、ダイアナ・ロス、メル・トーメ、ハンク・ウィリアムズJr.、シェリル・クロウ、オリビア・ニュートン・ジョン、アクセル・ローズ、パティ・ラベル、テディー・ペンダグラス、セリーヌ・ディオン、レオナ・ルイスに至るまで数多くのアーティストが彼の曲をカヴァーした。


メロディー・メーカーとしての存在感を発揮したあたりは、高い次元の音楽センスを擁するたぐい稀なアーティストではなかっただろうか。クラシックで学んだ音楽理論を活用したスケール感の大きい創造的な曲作りは他の追随を許さなかった。

エリック・カルメン・・・五線譜に圧倒的スケール感を組み入れた天才メロディー・メーカーであった。

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