ジャーニー

1973年にカルロス・サンタナのバンドメンバーだったニール・ショーン、グレッグ・ローリーを中心にサンフランシスコで結成される。1977年ヴォーカルにスティーヴ・ペリーを迎え、それまでインストゥルメンタル色の強かったバンド・イメージを一掃する。スティーブのハイトーン・ヴォイスとそれを生かした躍動感のあるメロディーが徐々に支持されヒット曲を放つようになる。アルバム発売後年間100本以上のライブツアーを敢行するという姿勢はまさにジャーニーであった。「No.1アメリカン・ロックバンド」と形容され80年代を代表するバンドのひとつ。

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左からジョナサン・ケイン(キーボード&ボーカル)、ロス・ヴァロリー(ベース&ボーカル)、ニール・ショーン(ギター&ボーカル)、スティーブ・ペリー(リードボーカル)、スティーブ・スミス(ドラム&ボーカル)



お気に入り曲を入れたジャーニーメドレーです







アルバム「エスケイプ(Escape)」の大ヒット

画像1981年にリリースされたこのアルバムは彼らに初の全米No.1をもたらし、売上も900万枚というセールスを記録する。ここから「ドント・ストップ・ビリーヴィン」「クライング・ナウ」、「オープン・アームズ」の3曲がシングルチャートで全米TOP10入りを果たしている。このアルバムに成功をもたらしたのはハード・ロックとポップスを融合した音作りが幅広い層に受け入れられた結果だったのだろう。前年にオリジナル・メンバーだったグレッグ・ローリーが脱退し、その後任で加入したジョナサン・ケインの音作りがジャーニー・サウンドに厚みを持たせた影響も大きかった。このアルバムを引っさげてのエスケイプ・ワールドツアーのスタートは日本からであった。ちなみにこのアルバムを製作する前の1980年に日本映画「夢・夢のあと」のサウンド・トラック製作を3週間にわたり東京で行っていた。


アルバム「エスケイプ」から最大のヒット曲
オープン・アームズ(Open Arms)

この曲はマライヤ・キャリー、エリオット・ヤミンなど数多くのアーティストがカヴァーしている。日産自動車CMや映画「海猿」の挿入歌に使われており日本でもおなじみの曲。また80年代の名曲のひとつである。





アルバム「フロンティアーズ(Frontiers)」の連続ヒット

画像1983年リリースされたこのアルバムは当時絶大な人気を誇っていたマイケル・ジャクソンの「スリラー」と発売時期が重なり、アルバムチャートでは全米2位が最高であったが前作を凌ぐ1000万枚超えのセールスを記録する。前作で控えめだったハード・ロック路線を強調すると共にメロディアスなサウンドにも更なる磨きがかかりジャーニー人気は加速する。当時ロック・バンドで流行していたシンセサイザーサウンドを強調していたのも特徴的だった。シングルとしてTOP10に入ったのは「セパレイト・ウェイズ」のみであったが「時への誓い」、 「マイ・ラヴ 」、「愛の終りに」がいずれもTOP30入りを果たす。 アルバム発売と同時に大規模な世界ツアーを行いまたも日本をツアー最初の地に選んでくれた。


アルバム「フロンティアーズ」からの第一弾シングル
セパレート・ウェイズ(Separate Ways)


スティーブのパワー溢れるボーカルとジョナサンのシンセサイザーが印象的な曲



第二弾シングル
時への誓い(Faithfully)

個人的には「フロンティアーズ」の中ではこの曲が一番好きだった。ライブツアーをドキュメント風に据えたPVもグッド。




メンバーのソロ活動

1983年のツアー終了後スティーブ・ペリーがドラムのスティーブ・スミスをメンバーから解雇(後にスティーブ・スミスは、ハードなライブ活動に疲れ、その頃子供が生まれたこともあり家族と過ごす時間が欲しかったこと。経済的な余裕も出来たので一区切りつけたかったと語っており一方的な解雇ではなかったようである)これに怒った他のメンバーがバラバラとなりジャーニーは事実上活動停止となりメンバーはソロ活動に入る。リード・ボーカルのスティーブ・ペリーはソロアルバムをリリースして成功を収め、ギターのニール・ショーンはサミー・ヘイガーなどと「H.S.A.S」というユニットを結成してライブ活動で好評を得る。キーボードのジョナサン・ケインは他のアーティストへ楽曲を提供。ベースのロス・ヴァロリーもソロ・プロジェクトを立ち上げるなど、まさに空中分解という様相で解散説が飛び交うようになってしまう。


スティーブ・ペリーのソロ・アルバム「ストリート・トーク」から
Oh、シェリー(Oh Sherry )

この曲は当時の恋人シェリーへの思いを歌ったものでPVに本人も登場している。その後1年足らずで破局してしまったようだが全米3位を獲得。こてこての歌詞やPVにはファンの間で好き嫌いが別れたようだ。



ニール・ショーンとサミー・ヘイガーが中心となったプロジェクト「H・S・A・S」から
青い影(Whiter Shade Of Pale)



この曲は60年代にヒットしたプロコル・ハルムのカヴァーであるがオリジナルとは違う良さがあり、ニール・ショーンのギター・ソロも圧巻。





3年ぶりのアルバム「レイズド・オン・レイディオ(Raised On Radio)」リリース

画像メンバー間の軋轢や私生活のゴタゴタなどから一向に進まなかったアルバム作りも前作から3年の歳月を要してようやく1986年にリリースされる。ここでメンバーはスティーブ・ペリー、ニール・ショーン、ジョナサン・ケインの3人だけとなっていた。メンバーの不仲が囁かれてはいたがほとんどの曲を3人で共作していたことからファンを一安心させた。曲作りも今までのシセサイザーを多用した派手なサウンドから変化し、全体的にシンプルになった印象でR&Bやポップスの要素なども取り入れ新境地を見せており、アルバムタイトルどおり彼らがラジオで耳にしてきた曲のエッセンスを取り入れていたのだろう。前2作の売上枚数には遠く及ばなかったがアルバムチャートでは全米4位を獲得。ファースト・シングルの「トゥ・ユアセルフ」は全米9位。以降「スザンヌ」、「 ガール・キャント・ヘルプ・イット」、「アイル・ビー・オールライト」はいずれも全米TOP20に入りし根強い人気を誇った。評論家やジャーニー・ファンの間では良い評価は得られなかったようだが、個人的にはこのアルバムがジャーニー作品では一番気に入っている。このアルバムツアーを終え彼らは解散という表現は使わなかったが活動停止となる。ここで80年代を代表する偉大なロックバンドは事実上終わりを迎えた。


ファースト・シングルの
トゥ・ユアセルフ(Be Good To Yourself)





80年代ジャーニー最後のシングル曲
永遠への想い(Why Can't This Night Go On Forever)



シングルチャートでは全米60位と振るわなかったが、個人的には好きな曲。スティーブ・ペリーのボーカルとニール・ショーンのギターが哀愁を誘う。






現在も活動中

画像1996年に80年代黄金期のメンバー5人が再集結して、10年振りのアルバムとなる「トライアル・バイ・ファイアー」をリリースしてアルバムチャートで3位を獲得。あらためてジャーニーというスーパー・バンドの存在感を見せつける。このアルバムのリリースは販売サイドからの熱心な勧誘によって実現したようだが、80年代黄金期のジャニーサウンドを知る者には物足りなさを感じた。結局彼らのライフ・ワークであったライブツアーが行われることもなく、看板ボーカリストであるスティーブ・ペリーも脱退してしまう。これ以降リード・ボーカルを中心に度重なるメンバー・チェンジを繰り返しながら現在も現役として活動しているようだ。


スティーブ・ペリーがジャーニーのヴォーカルとして歌った最後のヒット曲
When You Love a Women



ジャーニーについて語っています。よかったら聞いてください







ジャーニー・・・ハード・ロックというジャンルに親しみやすいメロディーラインを取り入れロック・バンドに革命をもたらした偉大な存在だった。後に活躍するサバイバー、ナイトレンジャー、デフ・レパードなどロック・バンドに与えた影響は計り知れない。




追記~新ボーカル アーネル・ピネダの歌声

現在のボーカリストであるアーネル・ピネダを聴いて正直びっくりでした^^;すごく声量が豊かで。彼はスティーブ・ペリーにひけを取りませんね。

ピネダの歌うWhen You Love A Woman










ピネダの歌うセパレート・ウェイズ





ピネダ加入後のオリジナル曲「AFTER ALL THESE YEARS」

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