ブライアン・アダムス

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ブライアン・アダムス(Bryan Adams) 1959年カナダ・オンタリオ州生

18歳のころに作った曲が大手レコード系列会社に認められ1978年当初ソングライターとして契約するが、翌年自作自演した曲がカナダで1位となったことからシンガーとしても認められ1980年カナダでアルバムデビューを果たす。1981年にはセカンドアルバムがアメリカでも発売(全米では118位が最高)され、それ以降フォーリナー、ラバーボーイ、ジャーニーなどのライブで前座を務めアメリカで徐々に知名度を上げていく。



サードアルバム「カッツ・ライク・ア・ナイフ(Cuts Like A knife)」でブレイク

画像1983年にリリースされたこのアルバムからのファースト・シングル「フロム・ザ・ハート」は彼にとって初の全米TOP10入りとなりアルバムチャートでも8位を記録。セカンド・シングル「カッツ・ライク・ア・ナイフ」、サードシングル「ディス・タイム」もTOP30入りとなり、人気バンドの前座を積極的にこなした努力が報われた形となる。アルバムはブライアンとボブ・クリアマウンテン(ブルース・スプリングスティーンなどを手掛けた大物エンジニア)との共同プロデュースで製作され、当時流行っていたエレクトリックサウンドは一切取り入れず骨太なロックアルバムに仕上がると共に、親しみやすいメロディーが特徴で収録曲はどれもレベルが高かった。どことなくやんちゃな青年が自分の好きな音楽を奏でているそんな印象があった。バック・ボーカルにフォーリナーのボーカルであるルー・グラムが参加していた。

「カッツ・ライク・ア・ナイフ」アルバム・ダイジェスト





初の全米TOP10ヒット
「フロム・ザ・ハート(Straight from the Heart) 」

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1982~1984年日本でもこの曲を含め3曲がアパレル・メーカーのCMに使用されておりブライアンの知名度をあげていた。



サード・シングル
「ディス・タイム(This Time)」
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アルバム「レックレス(Reckless)」で不動の人気を得る

画像1984年に前作同様ブライアンとボブ・クリアマウンテンとの共同プロデュースにより製作された4枚目のアルバム「レックレス」をリリース。前作で見せたクオリティーの高い小気味良いサウンドは更に磨きがかけられていた。また当時人気絶頂だったティナ・ターナーが「イッツ・オンリー・ラヴ」でデュエット参加していたことも話題となる。ファースト・シングルとなった「ラン・トゥ・ユー」はシングルチャートで全米6位と彼にとって最高位を更新する。そしてサード・シングルのバラード・ナンバー「ヘブン」で遂に全米1位を獲得。それに伴い発売後半年を経過していたアルバムも全米1位となり、正真正銘スーパー・スターへの階段を駆け上がった。けっきょくこのアルバムからは6曲がシングル・カットされ全てがシングル・チャートで全米TOP15位以内に入る快挙を果たし、全世界でのセールスが1000万枚を超えるモンスター・アルバムとなった。


「レックレス」アルバムダイジェスト






初の全米No.1シングル
「ヘブン(Heaven)」

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この曲が全米No.1になったことにより彼は飛躍を遂げる



4thシングル
「サマー・オブ69(Summer Of 69)」
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個人的にはブライアンの中で一番好きな曲





活躍の場を広げる


飛躍を遂げたブライアンはチャリティーコンサートやグリーンピース運動など社会的な活動を積極的にこなすようになっていく。1985年には歴史的音楽イベントであったライブ・エイドに参加。またカナダのトップアーティストがチャリティーで結成したカナダ版バンド・エイド、USA・フォー・アフリカとなるノーザン・ライツの「ティアーズ・アー・ノット・イナッフ」を同じカナダ出身のスーパー・プロデューサー・ディビッド・フォスターと共作する。そして85年暮れにはトップ・アーティストの定番であるクリスマス・ソング「クリスマス・タイム」をリリースするなどめざましい活躍をする。


カナダ版チャリティー・ユニット ノーザンライツ
ティアーズ・アー・ノット・イナッフ(Tears Are Not Enough)

参加メンバーはブライアン、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ポール・アンカ、コリー・ハート、マイク・レノなど総勢59名



「クリスマス・タイム(Christmas time)」



ヒットチャートに顔を出すことはなかったが、クリスマス・ソングとしての出来は素晴らしい





転機になったアルバム「イントゥ・ザ・ファイヤー


画像前作から2年3ヶ月ぶりにリリースされたこのアルバムは、従来の恋愛や青春もの的な歌詞から、自分や不正との対峙といった社会的要素の濃い歌詞に変化して新生ブライアンを見せる。音楽性も今までの勢いのあったロック青年といった感じから、渋めの大人のロッカーというような印象に変わったところは正直少し期待外れであった。おそらく大ヒットを飛ばした後の音楽性の迷いや積極的に社会的活動をにこなすようになったことがこのアルバムに反映されたのであろう。商業的にはこの変化の影響か前作「レックレス」の大ヒットには及ばずアルバムチャートでは全米6位が最高。シングルも3曲カットされるが第一弾シングル「ヒート・オブ・ザ・ナイト」がTOP10に入っただけであった。


「イントゥ・ザ・ファイヤー」アルバムダイジェスト








90年代以降も活躍する


80年代後半人気に一時的な翳りも見えたが90年代に入り再度存在感を見せつけることになる。1991年に手掛けたケビン・コスナー主演映画「ロビン・フッド」の主題歌「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」は全米で7週間、全英においては16週間連続、その他13の国でNo.1となり売上枚数は1300万枚を超えブライアンの最大ヒット曲となった。この曲で初のグラミー賞も獲得する。

「ドゥー・イット・フォー・ユー((Everything I Do) I Do It for You)」
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1993年には映画「三銃士」の主題歌を手掛ける。スティング、ロッド・スチュワートと三銃士として共演。またも全米No.1を獲得。

「オール・フォー・ラブ(All For Love)」
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画像現在は以前のように全米ヒットチャートを賑わすことはなくなったが、ヨーロッパ地域や地元カナダでの人気は絶大でヒット・チャートの常連である。また精力的に行っているライブはほとんどがソールドアウトのようだ。

ブライアン・アダムス・・・曲作りからプロデュースまでこなすマルチな才能の持ち主にして永遠のロック青年である。

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