エア・サプライ

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エア・サプライ(Air Supply)1976年オーストラリア・ メルボルンで結成

当初はオーストラリア国内での活動だったが、1977年にアメリカへ進出。1980年にリリースしたアルバム「ロスト・イン・ラブ」が全米アルバム・チャートで22位となる。そこからシングルカットされたアルバム同名曲は全米ヒット・チャートで3位、続いて出したシングル「オール・アウト・ラブ」が2位、「ときめきの愛を」が5位となり知名度を高める。グラハム・ラッセルの繊細な曲作りと、ラッセル・ヒッチコックの伸びのあるボーカルが人気を呼びバラード・ナンバーを中心に数々のヒットを放つ。80年代日本でも彼らの音楽を「ペパーミント・サウンド」と称して爽やかなイメージを作り上げ人気が高かった。


初の全米ヒット曲「ロスト・イン・ラブ(Lost In Love)」




「ときめきの愛を(Every Woman In The World )」






シーサイド・ラブ」で初の全米No.1

画像1981年にリリースされたアルバム「シーサイド・ラブ」からのファーストシングルとなったアルバムタイトル曲が7月に彼らにとって初の全米No.1となる。その後に続くシングル「ヒア・アイ・アム」「スィート・ドリームス」はともに全米ヒット・チャート5位となりアメリカでの人気を決定付けた。アルバム・チャートでは最高10位で、売上は200万枚に達した。




初の全米No.1「シーサイド・ラブ(The one that you love )」






たまに無性に聴きたくなる
「ヒア・アイ・アム(Here I Am)」








早くも翌1982年にはアルバム「ナウ・アンド・フォーエバー」をリリース。ファ画像ースト・シングル「さよならロンリー・ラブ」はまたもや全米5位のヒット。この頃から日本でも頻繁にラジオなどでオン・エアされるようになりアメリカに劣らない人気を獲得する。しかしそれ以降シングル・カットされた「ヤング・ラブ」「夜明けのふたり」は共に38位と低迷。1980年から7曲続いた全米ヒット・チャートTOP5以内という快挙も途切れアメリカでは人気に翳りが見え始める。アルバム・チャートでは最高25位。



1982年のヒット曲「さよならロンリー・ラブ(Even the Nights Are Better)」









心気一転ベスト・アルバムをリリース


画像少し人気に翳りが出始めた1983年に初のベストアルバム「渚の誓い/グレイテスト・ヒッツ」をリリース。このアルバム・ジャケット写真は日本版だけ独自のものであった。

心気一転このアルバムに収められた新曲「渚の誓い」では、今までプロデュースを務めていたハリー・マズリンから、当時ドラマチックなバラードを仕上げるのに定評がありボニー・タイラーの「愛の翳り」を大ヒットさせた人気プロデューサー・ジム・スタイマンに曲作りを託す。そのかいあって今までのエアー・サプライ・サウンドに厚みが増して、素晴らしい曲に仕上がり全米ヒット・チャートで2位となる。ちなみにこの時7週間にわたり1位に君臨していたのはポリスの「見つめていたい」だった。この効果で全米アルバム・チャートも最高7位となり500万枚を売り上げる。


「渚の誓い(Making Love Out of Nothing At All)」

「渚の誓い」は個人的に80年代洋楽のベスト10に入る曲



画像1984年には映画「ゴースト・バスターズ」のサントラに「アイ・キャント・ウェイト・フォーエバー」を提供。良い曲だったのに映画の中ではほんのわずか流れただけだった。プロデュースはデヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンのエア・プレイコンビ。




「アイ・キャント・ウェイト・フォーエバー(I Can't Wait Forever)」









3年ぶりオリジナル・アルバム「潮風のラブ・コール


画像1985年オリジナル・アルバムとしては3年ぶりとなる「潮風のラブ・コール」をリリース。ここでも新境地を開くべくイギリスに渡り、キッスなどを手掛けたボブ・エズリン、トレイシー・ウルマンなどを手掛けたピーター・コリンズの2人にプロデュースを依頼して製作された。ブルース・スプリングスティーン、ジェニファー・ラッシュのヒット曲を取り上げてカヴァーするなど新たな可能性にもかけたようだが、全米アルバム・チャートでは最高26位と振るわず、2曲出されたシングルもヒット・チャートでは50位にも届かなかった。続く86年にリリースされたアルバム「ハート・イン・モーション」は最高84位とヒット・チャートでのエア・サプライ人気は終焉を迎える。1987年にクリスマス・アルバムやラッセル・ヒッチコックのソロ・アルバムをリリースするもほとんど話題にならず、ついに1988年エア・サプライは活動を休止する。


アルバム「潮風のラブ・コール」からのセカンド・シングル
「パワー・オブ・ラブ(The power Of Love )」


この曲のオリジナルは1985年ジェニファー・ラッシュがイギリスで大ヒットさせたものだが、エア・サプライのほかローラ・ブラニガン、セリーヌ・ディオンが取り上げアメリカでヒットさせている。






1991年に再結成される

1993年にリリースされた
「グッドバイ(Goodbye)」

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1988年に一旦エア・サプライとしての活動を休止したが、1991年に再結成されアルバム製作や世界ライブ・ツアーを敢行する。1993年にはデヴィッド・フォスターがプロデュースした「グッドバイ」が全米ヒット・チャート86位となる。以前のように全米ヒット・チャートを賑わすことはなくなったが中国でアルバムが16週間1位を記録する画像などアジア、オセアニア地域での人気は絶大でライブには多くの観客が訪れる。


2017年6月追記

現在でも勢力的に活動しており、毎年のように来日してライブを開催している。2014年、2015年とビルボード東京でのライブに足を運んだが素晴らしいデュオは健在です。今年の1月にもライブチケットを手にしたが体調不良により中止となってしまいましたが再来日を期待しています。


エアー・サプライ・・・誰にでも受け入れられるメロディー・ラインは印象的で、時として無性に聴きたくなってしまう。そんな音楽を奏でたデュオであった。

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